Joel on Software

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さらにサバティカルについて・・・


Joel Spolsky ジョエル・スポルスキ
翻訳: Yasushi Aoki 青木靖
2000/3/18

私は自腹のサバティカルを1995年に取り、それから2000年にもう一度取った。私はそれが良かったと思っている。

1991年に大学を卒業して、ライダー・バンに乗りワシントン州のレドモンドへ、最初のアメリカ横断旅行に出かけた。私の最初の仕事はMicrosoftでだった。指摘しておきたいのだが、これはみんながMicrosoftを嫌いになる前のことだった。その当時は大学生とUNIXの連中だけが、「トイ」製品とビジネスマン向けの退屈なオフィスソフトを作っているということで Microsoftを嫌っていた。私と同じクラスの学生はOS/2上での開発の仕事をオファーされたが、「まさかそんな船に乗る気はないよ」と言って、かわりにロースクールに行った。

私は、控えめに言っても、大学から出てしまったことを思い、沈んでいた。寮生活の社交的な雰囲気の中で生きていた私は、誰も知った人のいない灰色の町のさえないアパートで生活することを恐れていた。もちろんこれはMicrosoftのトリックだ: ほとんどの新規採用は国中から集まってきた大学の新卒で、水浸しのレドモンド郊外にやって来て、ほとんど友達も社会生活もない。平均的なギークにとってこれは、すべての時間を仕事に使うことを意味する。典型的な一日は: 起きて、歩いて仕事に行き(ナメクジを踏まないように気をつけながら)、夜遅くまで働き、家に帰り、テレビを見て、寝る、この繰り返し。

私のバージョンは若干違っていた。私は完全に絶望したギークというわけではなかったので、夜テレビを見るかわりにジムに通い、週末には自転車に乗りワシントン湖をまわって大学地区へ行き、本屋や図書館やコーヒーハウスに入り浸り、もはや大学にいないのだということに不機嫌だった。しかし2年もすると、あまり社会生活を発達させていないことに気が付いた。私には友達ひとりいなかった。私の知っているのはみんなMicrosoftの人間ばかりだった。タンチョウナセカイ。

変えなきゃいけないと思って、ニューヨークに移り、Microsoft Consulting Servicesで働いた。いつかあのひどい無能なヘルマウスについて、まるまる一冊書いてやりたい。しかし今は、あんまり長くは続かなかったと言っておけば十分だろう。ざっと計算したら「ザ・ソフト」における2年半のストックオプションで12万ドル貯まったので、新興企業で働くリスクも十分負えると思った。

私はニューヨークの初期のISPであるPipelineから仕事のオファーを受け、Microsoftをやめた。しかしPipelineの創業者オーナーと話してみると、あまりいい感じじゃなく、それで最初のサバティカルを取ることにした。

次の9ヶ月かそこらの間に、私は2つのことをした。ひとつは学ぶことだ。それは1994年のことで、インターネットという現象が起き始めており、ビル・ゲイツのThe Memo以前の、MSNがInternetと競合し飲み込むだろうと考えていた島国根性のMicrosoftにいた私は、キャッチアップする必要があった。

私はまた、2度ほど、自分の会社を興すことについて考えたことがあった。どちらの場合も2、3週間の取り組みの後、しかるべきパートナーがおらず、何をしているのかもわかっていなかったために瓦解してしまったのだが、しかし最初の会社はYahoo!に、2番目の会社はVermeer (Microsoft Front Pageとなった会社)になっていたかもしれないと、自分をほめてやりたい。私のハードディスクのどこかに、実際に作っていれば大きなインターネット企業になっていたかもしれない製品の仕様がある。しかし問題なのはアイディアではなく、実施なのだ—これは私がこのweblogで繰り返し戻ってくるだろう考えだ。

私の心の隅でうずいていたもうひとつの考えは、アメリカ横断自転車旅行だ。これらの起業のアイディアが不発に終わったとき、春になって気候が暖かくなったらすぐ旅行に出る計画を立て始めた(これは春には雨降りが多いと知る前のことだ)。この旅行はすばらしかった。そのときのことを私のWebページで読むことができる(1995年までさかのぼって!)

アイダホのどこかで、他には誰もいない道を走っていて、私の気分は変わった。私は完全に休養し、仕事に戻りたいと強く感じた。ボイジーの図書館にあったコンピュータ業界のすべての宣伝パンフレットを夢中になって読み、いかに大きな変化があり、そしていかに多くの学ぶべきことがあるかということを知って興奮した。家に戻って銀行預金をチェックし、10週間の自転車旅行で使った7千ドルがMicrosoft株の神秘的な力で魔法のように埋め合わせられていたことを発見して喜んだ。8ヵ月か9ヵ月の失業期間に私の預金はほとんど減らなかったのだ。

これが私のサバティカル1だ。別な興味深い仕事を見つけるのには2日しかかからず、私は次の4年間を働いて過ごした: はじめViacomで、それからJunoで。

去年の11月、Junoの本当にまずいマネジメントのために私はすっかり参っていた。私はもはやエキサイトすることができないと分かった。Juno のあらゆるレベルの管理職が締め上げてくる些細な、あるいはそう些細でもないやり方を無視するのが、だんだんと難しくなっていった。さらに悪いことに、 Junoのマネジメントの強烈な政治性と傲岸さは、ものごとを変えられる可能性がほとんどないことを私に気づかせた。才能があって不満を募らせている人々がドアに向かう流れに私は加わった。

私は4年間働いて1年の休暇を取るという方式がとても気に入っている。今度仕事に戻るときには、本当の新興企業で創業者として働きたいと強く思っている。これについてはもう何年にもわたって学んでいるので、この頃では会社を興すことはそう危険ではないのだとだんだんと認識するようになった。誰かが使ってくれるのを待っている、あまりスマートでないベンチャー資金が何十億ドルもある。新興企業がいい給料を払ったとしても(そうする必要がある)、IPOとか会社を売るとかいった「リクイディティ・イベント」の可能性は、そう、10年間に4つの新興企業で働くというような平均的なキャリアよりも十分に高く、あなたには大金をつかむすばらしいチャンスがあるのだ。



この記事の原文(英語)は More on Sabbaticals です。 

ジョエル・スポルスキは、ニューヨーク市の小さなソフトウェア会社  Fog Creek Software の設立者です。イェール大学を卒業後、マイクロソフト社、Viacom社、 Juno社でプログラマとして働きました。


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